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子どもの頃の自分と就職活動
私は子どもの頃から外で遊ぶのが好きで、家の中でじっとしているよりも、体を動かしている方が楽しいタイプでした。とはいえ、勉強もそれなりにやっていましたが、正直なところ「やらされていた」という感覚が強かったように思います。
そんな私が就職活動をしたのは、今振り返ると北海道という環境もあったせいか、関東の学生に比べて少し遅れ気味でした。地元の大学で学び、どんな道に進むのか悩みながらも、当時2002年は就職氷河期真っ最中・・・。かなりの落選もありましたが、最終的にマルハニチロという水産商社でもあり食品会社でもある会社に入社することができました。
研究所時代の充実と大きな転機
入社後は研究所に配属され、ここで本当に素晴らしい先輩・上司・後輩に恵まれました。歳の近い先輩たちは尊敬できる存在でしたし、管理職の上司も親しみやすい方でした。同じ高校・大学を卒業した先輩がいたことも、心の支えになりました。
そんな中、会社の統合という大きな出来事がありました。もとは違う会社の人たちが集まる中で、まだまだ会社の中で貢献できる研究所の力を発揮しようと、みんなで雰囲気作りに力を注ぎました。例えば、研究所の野球部をコミュニケーションの場のひとつとし、社内の対抗戦を開催するなど、仕事以外でもチームワークを深める機会を増やしました。
しかし、順風満帆だった研究所時代に、突然の異動辞令が下りました。異動先は北海道更別村の工場、当時の所長から心無い言葉を浴びせられての異動でした。
2014年3月30日に北海道の土地に降り立った時は、もちろん新職場で頑張ろうという気持ちもありつつ、複雑な心境でした。
異動で見えた現場のリアルと新たな気づき
異動先の工場でも、尊敬できる上司や頼りになる仲間に恵まれました。しかし、現場はこれまでの研究所とはまったく違う環境でした。研究所から異動したわたしは右も左もわからないこともあり、最初は本当に大変でした…。回収事故や工場の移管なども経験し、ハードな体験でした。
その中で、部下や他部署のメンバーがメンタル不調になり、休職するケースがありました。私はその子たちの家に行ったり、ご飯を食べながら話を聞いたり、手探りでできることをしていました。
ただ、「この対応が本当にベストだったのか?」という疑問は、ずっと心に残っていました。
この経験から、「会社の風土をみんなが力を発揮できる方向に変えていけないか?」と考えるようになり、次第に社会保険労務士という職業に興味を持ち始めました。
※文章と写真があっていませんね・・・💦写真は北海道で過ごした余暇の写真です。
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社労士を目指すきっかけ
社労士という仕事を知るにつれ、「自分が経験してきたことを活かして、働く人の力になれるかもしれない」と思うようになりました。
ただ、社労士試験は非常に難関です。合格率は一桁台で、働きながら勉強するのは相当な覚悟が必要でした。
私は当時、北海道の富良野に住んでいたため、冬は豪雪で移動が大変でした。平日はハイエースを運転して、従業員さんの送迎も実施していたので、朝と夜の勉強時間を確保するのはなかなか苦労がありました。家で勉強するよりも図書館の方が集中できるので、休日は雪の中を車で旭川まで運転し、朝から閉館まで勉強するという日々を送っていました。
北海道の豪雪と戦いながらの受験勉強
社労士試験の勉強は、正直なところ本当にしんどかったです。
ただ、そんな日々を支えてくれたのが妻の存在でした。
私が図書館で勉強している間、妻も付き添ってくれて、一緒に時間を過ごしました。そして、帰りには旭川のイオンで外食をしたり、ショッピングをしたりして、少しの楽しみを作ることで、モチベーションを維持していました。
1年目は全然ダメで、2年目もあと一歩及ばず。しかし、3回目の受験でついに合格することができました。
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合格まで支えてくれた人たち
試験勉強は辛かったですが、異動先での経験がなければ、社労士を目指すこともなかったと思います。
そして何よりも、家族や友人、職場の仲間たちの支えがあったからこそ、ここまで頑張れたのだと改めて感じました。富良野まで会いに来てくれた後輩や先輩には本当に感謝しています。
これからは、この経験を活かして、社労士としても、ひとりの社会人としても働く人たちが安心して力を発揮できる職場づくりを少しでもサポートしていきたいと思っています。